<中日−広島>◇9日◇バンテリンドーム
中日などで活躍したトニ・ブランコ氏(43)が8日(日本時間9日)に故郷ドミニカ共和国で事故死した訃報を受け、中日時代に通訳を務めた桂川昇球団本部運営部国際グループ長は「本当に信じられない。目をつぶるとトニ・ブランコの姿を今でも思い出す」と話した。当時は家族のサポートもしていて、子どもが夜中にけがをして病院につれていったこともあった。「明るい性格で、おっちょこちょいなところもある。近くのスーパーに自転車を置き忘れてきたり。みんなと仲良くやっていた」と振り返った。
今年1月にブランコ氏から連絡があった。「向こうで何かの社長をやっていたみたいで、建設のクレーンみたいな写真を送ってきて。『また日本に行ったら焼き肉でも食べにいきたいね』って。久しぶりに長く話しました』と明かした。
また、スタッフとしてブランコ氏と中日時代は仲間、DeNA移籍後は対戦相手だったフランシス・ルイス通訳兼外国人担当ブルペン捕手兼打撃投手は「おととしドミニカ共和国に(編成業務で)行った時に球場で会った。『自分の息子もアメリカの球団と契約したよ』って」と、息子のトニ。ブランコ・ジュニア選手がパイレーツと契約したと喜んでいたという。「いい選手。一生懸命やるので好きだった」と、早すぎる別れを惜しんだ。