【大河べらぼう】平賀源内 役・安田顕インタビュー「源内を演じて本当に幸せでした」 – 大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」

人々のエネルギーを感じる作品

明るくて小気味いい作品だなというのが第一印象でした。火事や飢饉(ききん)、大変なこともたくさんあったはずですが、それを嘆くのではなく悲劇を喜劇に変えて「てやんでえ、べらぼうめ!」と笑い飛ばす勢い…。脚本家の森下(佳子)先生が一貫して市井の人たちを生き生きと書いてらっしゃって、物語の根底に流れるエネルギーを感じました。

時代劇って、いわゆる武家文化の“切った張った”のイメージがありますが、今回は町人にスポットライトが当たっています。田沼意次が財政改革をやろうとして、町人たちがどんどん勢いづく。下級武士たちが吉原に通うようになり、武家と町人が交わることで文化がさらに発展。平賀源内や蔦屋重三郎のような才能ある人が現れ、細見や浮世絵のようなサブカルチャーが生まれます。そこには、幕府公認の色里である吉原、正直なかなか言葉にしづらいことも多いです。でも、それも全部ひっくるめて江戸文化。そこを避けずに取り上げようとする姿勢に、あっぱれ!と思いました。

「べらぼう」は海外では「UNBOUND(アンバウンド)」というタイトルだそうですが、まさに、束縛から解放され、新しい文化が花開く時代が描かれています。こういうエネルギッシュなドラマが日曜の夜に放送されるって、いいですよね。月曜からも頑張ろうと思っていただける作品になっているのではと思います。

源内さんのふるさとで想像した人物像

クランクイン前に、源内さんのふるさとを見てみたいと思い、香川県さぬき市に行かせていただきました。源内ストリートを歩いたり、平賀源内旧邸を見ながら人物像を想像してみたり。銅像にご挨拶もしましたが、これが逆光で実にかっこよくて。「源内さんの役をやらせていただきます」と拝んできました。

平賀源内記念館では、模写した魚の絵や、源内焼などの展示を見学しましたが、その中の『お神酒天神』という、源内さんが幼いころに作ったからくり絵に目が留まりました。天神様の絵の前にお酒を置くと糸が引っ張られて顔が赤くなるという仕掛けですが、源内少年は、この作品を見た人たちが喜んでいる姿にカタルシスを覚えたのかもしれないなと思ったのです。マルチな才能の源内さんが好奇心を持つきっかけとなる、その根源を見た気がして、とても印象に残っています。

「べらぼう」での源内さんの役割

これまでたくさんのドラマに登場した源内さんですが、「べらぼう」では、蔦重のいる吉原の町や江戸市中と田沼さんのいるお城とを行き来できる立場にいて、2人の橋渡しをする重要な役回りです。そして、とにかく適当で明るくて変わり者な部分がクローズアップされているように思います。

森下さんが書かれる言葉はどれもすてきですが、中でも私の大好きなシーンがあります。脱藩し、どこの藩にも属すことができない身の上を「お抱えしてくれるところもなければ、お役目もない」と嘆きつつ、「自由に生きるってのは、そういうもんだ。自らの思いに由(よ)ってのみ、我が心のママに生きる。我儘(わがまま)に生きることを、自由に生きるっていうのさ。我儘を通してんだから、きついのはしかたねぇや」と笑うんです。これこそが源内さんを象徴する最高のせりふだと思いました。半歩先であれば優秀な人だと認識されるところ、一歩も二歩も先を行っている源内さんは、ともすると、よくわからない人に見えてしまいます。でも、お抱えにならなかったからこそ日本中を自由に旅して、たくましさやユーモアも培うことができたわけです。こうしたせりふの一つ一つの積み重ねで源内さんの中身を自然とお見せできるはず…。演じていくうちに、“適当な人に見せる”とはなるほどこういうことなんだなとつかんでいきました。

スタッフの方たちに支えられた役作り

意識したのは、テンポよく早口で話すこと。こんなに早くて大丈夫か? 軽すぎないか? と心配したこともあったのですが、きっと外連味(けれんみ)やべらんめえ口調を際立たせるための演出だと思うんです。監督さんからは常に「早く!それが正解です」と言われているので、リズム感を大切にしながら早めにしゃべりました。

事前に私からは、源内さんに何か癖をつけられないものかとご相談させていただきました。その後、台本を見ると、ト書きに“源内、物事に夢中になり、舌を上唇に押し当てる”と書いてありました。集中するときに、爪をかんだり、鼻をかいたり、癖のある人って意外といますよね。そんな感じで、源内さんの癖として意識的に上唇に舌をつけています。

あと、源内さんは、海外から歩数計をいち早く取り入れていた方で、実はいつも着物につけています。だから、必要のないことかもしれないですけれど、歩いているときにちらりと見るとか、そういったちょっとしたしぐさを入れるようにしました。大河ドラマのすごいところは、小道具も見えないところまで抜かりない。着物や髭もモダンで個性があって、かっこいいですよね。衣装さん、メークさん、床山さんなど制作に携わる皆さんが役の人物像を丁寧に作ってくださっているのを感じます。すべてが役作りにつながるのでありがたかったです。

役と重なるすばらしい役者さんたち

横浜(流星)さんは好青年で真面目で、やんちゃな一面もある魅力的な方です。役に対しても真摯(しんし)で実直。周りもきちんと見えている方です。私とは格闘技やボクシングなど、お互いの趣味の話をしますが、ほかの共演者さんともそれぞれの空気感でコミュニケーションを取っていらっしゃいます。約1年半、大河ドラマの主役を背負うことは大変なはずだけれど、全くそう感じさせない。“漢”という字が似合うおとこですよね。

源内さんのバディーである新之助役の井之脇(海)さんとは以前映画で共演しました。が、私はこう見えて寡黙な人間で、一人でブツブツせりふの練習をしているから、あまり話すことができなかったんです。井之脇さんもちょっと似たタイプで、現場に入るときは新之助としていらっしゃいます。カメラが回っていないときも出来上がっているんです。そのたたずまいがなんともかっこいい。うつせみとの足抜け、頑張ってね!と素直に応援したくなりました(笑)。

渡辺 謙さんの“気”に驚がく

今回、たくさんのすばらしい役者さん、スタッフさんとの出会いがあってうれしかったのですが、さらにうれしかったのは渡辺謙さんとお芝居させていただけたことです。初めてお手合わせしていただいたのはお城の中で対面するシーンでした。田沼さんは畳4、5枚ぐらい離れたところに座ってらっしゃったのに、私には謙さんがすぐ目の前に見えるんです。とにかく“気”がすごい!その存在感に驚きました。

さりげなくアドバイスもいただきました。物語上の田沼さんと源内さんにはブロマンス的なつながりあったと思いますが、私に対してもお芝居でセッションしていくことを楽しみつつ、ちゃんと見てくださっているのを感じました。ちょっと裏話をしてしまうと、SNS用に2ショットを撮ったときに謙さんが肩をポンとつけてくれて、「俺の唯一の相棒」って言ったんです。かっこいいですよね~。頑張ろう!と、ますますやる気が出ました。

切なすぎるラストシーン

最後まで源内さんをきっちり務めさせていただくのは当たり前のことですが、幻聴が聞こえてきて、どうしようもなくなっていく姿はやっぱり切なかったですね。パラパラと降る雪を見ながら辞世の句を読むラストのシーンは本当に切なかった。あのとき、源内さんは、田沼さんと和解したことで救われた状態だったと思います。“我儘を通しているから、きついのはしかたない”と言っていたのに、最後に残ったのは疑心暗鬼であり名誉欲だった。結局、自分もお抱えになりたい、出世したいと思ってしまったわけです。でもこれが人間なんですよね。この描き方が森下さんのすごいところで、きっと共感してくださる方も多いと思います。

このシーンのあとメークさんがふと、「安田さんが演じる源内さんはとっても人間臭かったです」と言ってくださいました。メークさんや床山さんは、たくさんの作品を担当されてきて、毎回、ものすごい時間をかけて一人一人の役のために準備してくださっています。その方に言われたのがなんともうれしかったですね。

大河ドラマの現場は本当に豪華で、そこでお芝居させていただけること自体がとても幸せでした。技術さんたちのこだわりを日々肌で感じられるのも楽しかった。炭鉱へ行ったり、山師になったり、戯作を書いたり、お城と下町の橋渡しをしたり、人間味あふれる源内さんを演じながら、充実した日々を過ごすことができました。ロケに行ったときに、源内さん!とたくさんの方に声をかけていただいたことも本当に貴重な経験です。話題になる作品になればうれしいです。

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