“どこまでも抜けるような夏の青空。舞い上がる入道雲。満員のスタンド。「青春だなあ」としみじみ思いながら応援席を見渡し、決勝戦ならではの雰囲気を味わっていたら、「藤圭子さん、自殺か」というニュースが入った”――。
2013年に訪れた、歌手の藤圭子さんの突然の死。いったい彼女に何があったのか? 朝日新聞記者の取材によって見えてきた彼女が抱える闇とは…。朝日新聞編集委員で、昨年10月に亡くなった小泉信一氏の『スターの臨終』(新潮社)より一部抜粋してお届けする。(全3回の1回目/続きを読む)
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「怨歌」の歌い手
子どものころ、あの歌声を聴いて、「なんて悲しいんだろう」と思った。「きっと悲しい人生を送ってきたにちがいない」と勝手に想像をたくましくもした。
「圭子の夢は夜ひらく」(1970年)などの大ヒット曲を日本の歌謡史に残し、流星のごとく光って消えた歌手・藤圭子である。人の世の悲しみと孤独に寄り添った歌を作家の五木寛之は「怨歌」と呼んだ。
当時、私は小学生。きらびやかなアイドルとはかけ離れた藤の「〽︎十五、十六、十七と私の人生暗かった~」という歌を聴いていると、「自分もあと何年か経てば暗い人生を送るのだろうな~」などと気が滅入ったりした。
70年代といえばオカルトブーム。「1999年7の月に人類は滅亡する」と予言した「ノストラダムスの大予言」が大ヒットした時代でもあった。公害も大きな問題となり、世の中全体がどんよりと暗い時代でもあった。
さて、藤の衝撃の死から10年あまり。ドロリと湿った情念の泥沼から生まれたあの歌声が、どのような宿命を背負っていたのかを追ってみたい。
突然の訃報
まずは2013年8月22日、東京・新宿の高層マンションから藤が飛び降り自殺をした「あの日」に戻る。私は夏の高校野球の決勝大会を取材するため、兵庫県の阪神甲子園球場にいた。当時、大阪本社の編集委員だったこともあり、決勝の模様をコラムで書こうと思ったのである。
決勝が始まるのは午後からということもあり、私が球場に着いたのは正午ごろだった。
どこまでも抜けるような夏の青空。舞い上がる入道雲。満員のスタンド。「青春だなあ」としみじみ思いながら応援席を見渡し、決勝戦ならではの雰囲気を味わっていたら、「藤圭子さん、自殺か」というニュースが入った。