菊川怜、小倉智昭さんが亡くなる1か月前に離婚発表「電話がかかってきて、『怜ちゃん、大丈夫だよ』と」

昨年12月9日に膀胱がんで亡くなったフリーアナウンサー・小倉智昭さん(享年77)のお別れ会が、東京・南青山のジャズクラブ・ブルーノート東京で行われた。俳優の寺尾聰、嵐・二宮和也ら小倉さんと所縁(ゆかり)があった700人以上が参列した。祭壇には小倉さんがジーンズ姿でベースを弾く遺影、小倉さんが応援し続けた埼玉西武ライオンズのユニホームなどが飾られた。フジテレビ系『とくダネ!』で、2012年7月~17年9月まで小倉さんとともに番組を進行した菊川怜も参列し、故人をしのんだ。

菊川怜、小倉智昭さんが亡くなる1か月前に離婚発表「電話がかかってきて、『怜ちゃん、大丈夫だよ』と」(ENCOUNT) - Yahoo!ニュース

【写真】「悲しいよ」 菊川怜、長年共演した小倉智昭さんとのハグ2ショット

菊川は取材対応の前から涙を流していた。「明るく送り出そう」が会の趣旨だったが、菊川の抱く悲しみは深いものだった。

「小倉さんが病気でつらい時、私もつらいことがあって、心配してくれて。甘えちゃったところがあって…」

最後に電話で話したのが昨年11月17日。小倉さんが亡くなる約1か月前だが、菊川はその11日前の同6日に離婚を発表していた。そのことを心配した小倉さんの方から電話があったといい、菊川が「前向きにやっていけるか、分かんない、自信がない」と言うと、小倉さんは「怜ちゃん、大丈夫だよ」と声をかけて元気づけてくれたという。

写真】《小倉智昭さん死去》「でも結婚できてよかった」溺愛した菊川怜の離婚を見届け天国へ、“芸能界の父”失い憔悴「もっと一緒にいて欲しかった」|NEWSポストセブン  - Part 4

「小倉さんも大変な時なのに心配して支えてくれました」

ただ、その時が小倉さんとの最後の会話になることは想像できなかったという。

「12月に亡くなったと『とくダネ!』のLINEグループに午前3時に来て、朝起きて、見てショックで…。あんなに元気だったのに」

小倉さんとの付き合いは、番組卒業後も続いたが、番組を離れて「すごさ」を再認識していた。

「小倉さんがどれだけ、皆さんに愛されて、仕事ぶりも目的意識を持ってこれを伝えるとか情熱、使命感、深さを持って仕事していたと年を重ねて気付きます」

その上で「芸能界で関わった方で、これだけの距離、近さで接してくれたのは小倉さんだけです。もう、近すぎて、私の世界で、側に常にいる、得体の知れない感じ。毎日、ずっと隣に座っていたし、過ごす時間が長いと、家族になってくる空気があった」と振り返った。そして、「小倉さん、ありがとうございます。こっちでは小倉さんが作った小倉イズムが残った人が頑張りますので、どうかみんな仲良く元気に仕事ができるよう、どうか見守って下さい」などと小倉さんに呼びかけた。

Related Posts