人工肛門生活だった中井美穂「外から見てわからない障害にも目を向けて」12年後に公表した理由と決断に至った「大きな存在」

2002年に腹膜炎の手術をしたことでその後1年間、人工肛門で仕事をしていたフリーアナウンサーの中井美穂さん。当時のことを公表したのはそれから12年後のことでした。なぜこの段階で ── 。(全3回中の1回)

■結婚を機に婦人科を受診したら子宮筋腫が

── 多発性子宮筋腫と診断されたことがあったと伺いました。発覚の経緯について教えてください。

中井さん:1995年に結婚して、子どもを授かりたいと自然と思っていたのですが、なかなか授からず、不妊治療で婦人科に通ったのがきっかけです。治療中に調べてもらったところ、子宮に筋腫があることがわかりました。

── 何か自覚症状はありましたか?

中井さん:生理は毎月定期的に来ていて、お腹は重いといえば重いけれど、わざわざ病院に行って調べるほどではないかなと思っていました。友達と生理の話をすると、周りの子は「何か月来なかった」と言っていましたし、特に自分の体に変わったことが起きているとは思いもしませんでした。結婚するまで婦人科に行ったことはありませんでした。

── 治療はどのように進めたのですか?

中井さん:最初から手術という選択肢があったわけではありません。貧血などで日常生活に支障をきたすほどではないので、「とりあえず様子を見てみましょう」ということになり、不妊治療を進めていました。ところがそれがあまりうまくいかなくて、それならば筋腫をとってから治療にチャレンジするのはどうかとなりました。筋腫の数が多かったこともあり、それが不妊の原因のひとつでないかということで、妊娠の確率を上げるために自分で選択して2002年に手術をしました。

手術といってもお腹を切らない腹腔鏡手術なので軽く考えていました。「1週間、夏休みをもらうくらい感じで入院して、すぐ仕事に復帰できたらいいな」と思っていたんです。でも、その後の経過がよくなく、痛みと発熱の症状があり腹膜炎を発症していました。

── 腹膜炎の治療のため、その後また手術をされたそうですね。

中井さん:手術に手術が重なるという感じになりましたが、腹膜炎の手術では、大腸の一部をとることになります。腸が破れて中のものがお腹の中に広がってしまう病気なので、その破れた部分を切除する必要がありました。その後、腸を回復させるために2002年から2003年の1年間、人工肛門(ストーマ)で生活することになりました。

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